いじめ その1
なんか最近いじめを苦にしての自殺っていうのがニュースで目立つようになってきた。
連鎖反応というのかなこういうのって。いじめられる者にとっては自殺のニュースをみて「私も死を選ぼう!」と考えてしまうんだろうね。追い詰められているわけだから安息を選ぶということ。
よく「自殺するくらいならがんばればいいのに」みたいな意見を他のblogなどでみかけるけど、そうじゃないだろって自分は思う。「がんばれないから死を選ぶ」ってことでしょ?まあ具体的に何をがんばればいいんだ?ってこともあるのだが。
※以下、不快な文章、とんちんかんな文章も出るので読み飛ばしましょう。
ここでは、いじめをする人を「加害者」、いじめられる人を「被害者」と表現してます。
いじめをする「加害者」のほうが「悪」であるわけで、「加害者側」をもっと徹底追求しろよと。間接的に殺人を犯しているわけだから(過激発言すまぬ)。
具体的に学校側が今後何をしていくことになったのか、「加害者」本人は何をしたのか、「加害者」の両親はどう思っているのか、みたいなことを重点的に論議していくべき問題なんだ。
「加害者」は直接手を汚したわけじゃないから、たぶん記憶から自殺のことは消えてしまうだろ。現に葬儀の席で棺桶の中をのぞいて笑っていた中学生もいたみたいだし。だから心に傷をつけてやれってことさ。
自分は二児の父だけど、もし自分の子供がいじめで追い詰められていたらどう守ろうかと。
手っ取り早いのが「親公認登校拒否」だ。でもそれって何の解決にもならないな。だから「加害者」側には絶対的なダメージを与えるつもりではある。暴力とかではなく直接「加害者」と会話するとか、担任いや校長と会話するとか、考えられることを徹底的にやって「加害者」を後悔させてやりたい。陰険なやり方ではなく、堂々と訴訟を起こしてでも「加害者」をぶっ潰す(過激発言すまぬ)。
そもそも「被害者」の両親はいじめに気づいていないってことだよね。自分も気をつけねば。たぶん「被害者」は他の人に相談するってことができない精神状態だと思うし。
自殺を選ぶな。相手が喜ぶだけだ。しかも一時の謝罪で事件は忘れられてしまうぞ。
自殺するくらいなら家出しろ。学校や両親や警察に大迷惑をかけろ。
・・・って、無責任でエラソウな発言してるけど、自分が「間接的な加害者」だった経験もあるわけで。
(その2に続く)
かかしの旅 (2005)
監督:冨永憲治
出演:林瓏、上原祐也、大河
いじめをテーマにした映画らしい。未見だけど。
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